共感性の高い努力について

この前、弟に長々と語った内容を整理して書きたいと思います。

革新的な発想でもなければ深くもありませんが、ちょっとでもなるほど~と思っていただければ嬉しいです。

⚠完全に私の持論と、専門的でない知識ばかりなので正確性はありません。また、誰かを傷つける意図もございません。例として誇張表現をしている箇所があります。

 

「ヒモはやめとけ。」

今年入ってすぐか去年の年末か、それぐらい。弟は受験生で、絶賛勉強に励め期です(このブログを書いている最中も、隣でswitchをしています。)

弟が不意に「俺、将来はヒモになるわ。」と呟きました。

人間は勉強しすぎるとこうなってしまうのだろうが、しかし私は「ヒモはやめとけ。」と冷静にツッコミました。真面目です。

将来が心配とか、クズだとか、カスだとかそういう理由じゃありません。

ヒモは単純に才能、もしくは尋常でない努力が必要になると思っているからです。

そしてその努力は、将来誰にもわかられないであろう超地味なものであるからです。

順を追って説明しますと、まずヒモはほとんど才能です。ヒモを家に入れるのは、人との関わりに飢えた女性・・・つまり、その女性を見つけ出すことからヒモは始まっているのです。さらに、「この人は私が守ってあげるんだ」と思わせる(庇護欲や母性をかきたてる)人格でないと、そうやすやすと住み込みはできません。一夜限りだったら許す女性も、3か月となると話は全く別です。そのあとはひたすら駆け引きで、女性の懐でぬくもり続ける、、、。

こうやって書きだすと、ますます私には無理だと思います。絶え間なく人の調子を伺わなければいけない、時には駆け引きも必要。ヒモって楽そうだけど、この工程を楽だと思える人しかその領域にはいけないんだなぁ。

次に本題ですが、もし努力でヒモになっても、誰もそれをすごいとは思わないんですよね。

そりゃまぁヒモですから、すごいなんて感想出たらたまったもんじゃありませんが。

これが何ですごいと思われないのか、答えは至極簡単で、共感性の低い努力だからです。

共感性の高い努力とは

人間は、自分の置かれてきた状況は鮮明に思い出すことができます。特に「つらい」や「しんどい」といった負の感情が伴う場面について、それがいえると思います。

運動部に入っていた人は、プロの選手が自分を追い込む姿を見ると、きっと寒空を仰いでランニングをし、喉から血が出るような思いをした冬を思いだすでしょう。そして、つらかった自分を重ねたりして「プロはすごいなぁ」なんて思うわけです。

きっと、職場の後輩が全国大会経験者だったら、おおいに褒めて「頑張ったんだな」なんて言っちゃうわけです。

ではなぜこのような心理になるのか、それは自分がその努力の裏にあるつらさやしんどさを知っているからです。スポーツなんて特に、挫折した人のほうが多いですから、それで成功することを褒めるのは、なんら自然なことです。

これが共感性の高い努力です。当たり前です。

共感性の高い努力ができるものとして1番身近なのは、なんといっても勉強ですよね。

小学生の頃から短くても9年間、今の日本であれば誰だって経験したことのある挫折です。東大生が神格化されているのは、ただただ頭がいいからではなく、「自分が挫折した勉強を続けた強さ」という、東大生の勉強をする努力に共感しているからです。

大半の人は、勉強ってつらい、苦しい、しんどいと思っていて、でも東大生はそれをやってこなしちゃうわけですよ(東大生にまでなると、もはや努力じゃなくて趣味かもしれませんが)。

あと「大会で賞を取った」という言葉もいいですよね、世の中には大会に出られなくて挫折した人も多いですから(中学の頃、テニス部でしたがドヘタで激よわでした)。

じゃあ逆に共感性の低い努力って?

本題です。もうお分かりだとは思いますが、ヒモは完全にコッチです。なぜならヒモになる努力をしたことがない人が世の中の大多数だから。これに尽きます。

わかりやすい例でいうと、プロゲーマーが認められない現状によく似ていると思います。

なぜゲームがオリンピック競技にならないのか、その原因のひとつはこれです。

スポーツを長年続けてきた人でそれなりの熱量をもっていた人は、もうそのスポーツを娯楽だなんて思っていません。たとえそれがどんなスポーツだとしても、その人の中では立派な競技です。

しかしゲームはどうでしょう。ゲームを娯楽以外だと捉えている人って、ゲーム人口のいったい何%だろう?たしかに熱中してるかもしれないけれど、それでも娯楽の域は出ないと思います。つまり世間から見たゲームは「娯楽」であって、そのプロを目指すことは苦ではないという人々の先入観から、競技ではないと判断されるのです。

私もゲームは娯楽の域を出ない遊び方をしていますから、その努力には共感できませんが、それでもゲーマーってきっと楽ではないだろうなと思います。

 

だから私は、弟がヒモになるのはやめたほうがいいと思い、勉強を勧めました。

今まで頑張ってきたこととして紹介するときに無難なのって、やっぱり共感性の高い努力だと思ったからです。

将来、男性ヒモ社会が成り立った時には、私も勉強なんてせずにヒモになる努力をしろと弟に諭しているかもしれません。

 

 

 

色々書いてみましたが、やっぱり思っていることを100%吐き出すのは無理がありますね。文章としての整合性を保つために犠牲になった書きたかったことがいくつかありますが、全部忘れたのでもういいです。

 

この時期に何してんだ

ほんと何してんだ

次の生徒会新聞を発行したら、俺、任期満了なんだ…。

1年間続けていた生徒会を辞める運びとなりました。数回発行した生徒会新聞にほぼ私信のような文章を書くのが趣味だったのですが、ついえました。

ならそうだ、ブログを始めればいいのよ。

でも普通にブログとかしたことないよね

だって17歳だよ?3歳の頃からWiiでボウリングしまくってたし、中学生の頃にはTwitterとインスタとTik Tok以外のSNSやってる人のほうが少数派だったよ。

そういうわけで、17歳なのにも関わらず中二丸出しの文章を世に晒しているわけです。

これを生徒会新聞に書いていた私のメンタルや。

ていうか本当に5分前に始めたから機能を何もわかっていない、続きを読むってなんだ。

箸が転げても面白い

だって高校生だもの。ヨ!を

 

書くことがない

世の中のブロガーはこの白をどうやって黒にしてるの?

 

次のブログでは試験的にまじめな話をすることにする、思春期だし。